私は村上春樹さんのファンで、著作も結構読んでいますが、以前著作の中で藤沢に住んだことがある、と言っていました。
東京するめクラブ 地球のはぐれ方
鵠沼海岸とか、藤沢駅というよりももっと海側ですかね。私も藤沢在住ということで、ファンの作家さんが以前自分の住んでいる土地に住んでいた、という事実は、なかなか心愉しいものです。
他の著作でもいくつか藤沢に触れているものもあり、そのあたりをまとめてみたいと思います。
村上春樹 雑文集
あいさつ・メッセージなど、の箇所に、こんなものがありました。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を書いたときには、神奈川県藤沢市鵠沼というところに住んでいた。引っ越しと引っ越しとのあいまにせっせと書き上げたという記憶がある<〜略〜>受賞決定の知らせのある夜は、そんなわけでとくに何も考えていなかった。というか、すっかり失念していた。何か用事があって家人がいなかったので、外に出て一人で食事をすませ、ビールを飲み、そのへんでぶらぶらと遊んでいた。遊ぶといっても、まあ藤沢駅の周辺だから、たいした遊びができるわけでもない。
「ぜんぜん忘れていい」-谷崎賞をとったころ
藤沢駅なんてなんにもない、と言っているかんじですが、実際東京と比べるとなんにもないですね。
ダンス・ダンス・ダンス
途中で、女の子ユキのお父さんの家が辻堂にあり、そこに車で向かうところがありますね。
村上朝日堂はいかに鍛えられたか
エッセイ集ですが、こんなものもあります。
ところでこの前紹介した藤沢のラブホテル「45°」の名前の由来について、新しい情報が寄せられました。正式な名前は「クリエーション45°」という言って(クリエーション?)実に45°に尖った楔形の土地に建っているのだそうです。
ホテルの名前・更に追求編
これは今でもありますね。小田急で相模大野方面から跨線橋を渡って藤沢駅に入っていくときに見えます。年代考えるとなかなか老舗だな。
他にもいつかあった気がするけども、今の所こんなところで。最近もまた来たりしてないかな。
<追記>
村上朝日堂の逆襲
先日、上記のエッセイを読んでいたら、ちょうどこのエッセイを書いている時が、村上さん藤沢在住時だったということがわかり、色々と藤沢に関する記述もあったりして面白かったですね。
僕の行きつけの床屋は千駄ヶ谷にある。僕は今のところ藤沢に住んでいるので、二ヶ月に三回の割合で小田急のロマンス・カーに乗って、千駄ヶ谷まで髪を切りに来る。
なぜ私は床屋が好きなのか-村上朝日堂の逆襲
なるほど、都内まで髪を切りに行ってたんですね。床屋ってなかなか変えられないもんな。1980年代のロマンスカーはどんな感じだったのかな。
ついでだからつれづれなるままに思い起こしてみると、六本木で若いカップルに声をかけられたこともある。お茶の水の明治大学の前と新宿・伊勢丹の二階と藤沢の西武デパートと小樽の街角で一度ずつ声をかけられた。
小説家の有名度について-村上朝日堂の逆襲
声をかけられた時の思い出を書いていますが、藤沢だと西武デパートかー。今はもうないですが、1990年代までは藤沢駅の南口に西武デパートがありましたね。北口も南口にもデパートというか百貨店あって、なかなか栄えてた時代ですね。
いろんな事情で藤沢の家を出なくてはならない羽目になり、また東京に戻ってきた。
バビロン再訪-村上朝日堂の逆襲
結局、藤沢にいたのは1年くらいだったのかな。いろんな事情ってなんでしょうね。仕事がやりづらくなったとかかな。今みたいにリモートワークで仕事できる、という時代じゃなかったでしょうし。